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リーン・ケイスとハーブティの物語 北米先住民、オジブア族の間で4000年以上にわたって飲み継がれてきたハーブティ。このお茶がひとりの女性リーン・ケイスに知られ、フローエッセンスとして世界中で愛飲されるまでには、70年もの年月が必要でした。 リーン・ケイス

リーン・ケイスと、ハーブとの出会い

1922年、カナダのオンタリオ州ヘイリーベリーという町で、リーン・ケイスはひとりの白人女性と出会います。
彼女は、それより30年ほど前の1890年代はじめ、炭鉱夫の夫とともに、イギリスからオンタリオ州北部の町に移民してきた女性でした。
リーンはこの女性から、伝説の物語を聞くことになりました。

ある日、女性の健康に心配なことが起きました。彼女の夫が、同じ地域に居住するオジブア族のメディスンマンに相談したところ、先祖代々伝えられてきた「身体と精神を浄化し、大自然の精霊と人体の調和を取り戻す、神聖な力」を教えられました。
いくつかのハーブを煎じたもので、つくり方も教わったものの、夫婦は半信半疑。

そこで検査のためにトロントへ行きました。
問題が発見されたのですが、夫婦にはどうすることもできませんでした。

彼らはオンタリオ州に戻り、オジブア族の老メディスンマンからハーブティをもらって日に2回、飲むことにしました。
気分が安らぐ味で、飲み続けるうちに彼女のからだは「調和」を取り戻します。問題は消え、20年以上たっても、大丈夫でした―。

リーンは、いつか自分が健康維持のためにこのハーブティを飲もうと、女性から教わったハーブの名前を控えておきました。

叔母のために

2年後、リーンの叔母が健康に不安を感じ始めました。
リーンは叔母の面倒をみてくれるフィッシャーに、ハーブティーについて相談。「先住民のハーブティなど疑わしいが、しかたがない」と、フィッシャーはハーブティーを飲ませることに同意します。

リーンはハーブを摘んで煎じ、毎日、叔母に飲ませました。
2カ月後、叔母は、健康で元気になりました。叔母はその後、20年間生きて人生を全うしました。

無償の奉仕、ハーブティの広がり、バッシング

叔母が元気になったことをきっかけに、リーンとフィッシャーはハーブティの研究に取り組みます。
ハーブティは多くの人の話題になり、リーンのもとには、多くの人が訪れるようになりました。
元気を取り戻せなかった人もいましたが、大半はリーンのハーブティーによって元気を取り戻し、その後の人生を送ることができたのでした。

ところが、最初の数年間のうちに、リーンは特定機関から注意をうながされるようになりました。
しかし、それまでにリーンが一度も報酬を請求していなかったことがわかり、注意は取り下げられました。

当時の研究風景

リーンはまた、シカゴへ出向き、30人の人にハーブティーを煎じます。「よりよく生きられるハーブティだ」リーンのハーブティを、監視していた人たちはこう評価しました。

やがて、トロント市内に借りたアパートでハーブティを煎じ始めますが、押しかける人々に、近隣からの苦情が相次ぎます。
報酬を求めず、人々のささやかな寄付に頼るだけだったリーンは、家賃の支払いもできなくなり、郊外の小さな一軒家に移住。

そこでも厳重に注意され処分されかかります。
しかし、まわりの人々の援護を受け、保健福祉大臣に直談判。
ハーブティの継続を認めさせることはできましたが、「代金を請求しない」という条件がつけられていました。

オフィスの開設。しかし閉鎖に追い込まれ…

1932年、トロント・スター紙が「注目すべきハーブティを発見」と、大見出しでリーンを紹介。訪ねてくる人々は増加する一方でした。
大金を積んでブレンド方法を買い取ろうとしたり、共同事業を申し入れてくる人間も少なくありませんでしたが、リーンは、儲け話に一切関心を示しませんでした。

1934年、リーンのハーブティで元気になったのを見たひとりの男が、町議会に熱心に働きかけ、税金の滞納で差し押さえられていたホテルがリーンに提供され、オフィスが開設されました。

たちまち盛況を極めたリーンのオフィス。まるで、伝説の水を求めて巡礼者があふれるルルドの聖堂のようだったと言います。
リーンのハーブティへの信頼と期待はいよいよ高まり、活動の支援を要求する請願書には数千人の署名が集まり、保健福祉局に提出されました。

しかし1942年、カナダ政府はリーンの事業を中止するように要請。
ハーブティをめぐって議会では壮絶な論戦が展開され、傍聴席の圧倒的な応援にもかかわらず、リーン法案は僅差で否決され、オフィスは閉鎖に追い込まれます。

調査委員会に「ハーブティの成分を明らかにしない限り、事業は許可しない」と言われたものの、リーンは公表を拒否。
ブレンド方法を変えられるか、もしくは、かき消されてしまうのでは、と心配したからですが、そのため人々に提供することはできなくなってしまいました。

手を差しのべたブラッシュ博士、ハーブティの完成

ジョン・F・ケネディ大統領夫妻とブラッシュ博士
チャールズ・A・ブラッシュ博士

リーンの苦境を知り、自身のオフィスに招いたのが、アメリカ合衆国の元大統領ジョン・F・ケネディのスタッフであったチャールズ・A・ブラッシュ博士。
1959年のことでした。

博士は、植物に秘められた力にも深い造詣をもち、よい部分は積極的に取り入れる人物。

リーンとブラッシュ博士は共同で慈善基金を設立。
ふたりは事業活動を行いながら、ハーブティのブレンド方法を微調整し、ブレンド方法をついに完成させます。
二人の共同活動は、リーンが亡くなるまで続きました。

ラジオがドキュメンタリー番組を放送

イレーン・アレグザンダー
(1924-1996)

リーンが91歳で天に召された6年後の1984年、カナダのラジオ局のプロデューサー、イレーン・アレグザンダーが、リーンの献身的でドラマティックな生涯を紹介する番組を2度にわたり放送。大きな反響を呼び、さらに1986年にも2時間のドキュメンタリー番組を7回シリーズで放送したのです。

番組のゲストとして招かれたブラッシュ博士は、イレーンと会い、その熱意に心打たれました。1988年、博士はハーブティのブレンド法の権利をイレーンに譲ることを決めたのです。イレーンは、このハーブティの恩恵をもっと多くの人と分かち合うため、製造販売を託すにふさわしい誠実な企業を探すことになりました。

選ばれたフローラ社

カナダフローラ社
トーマス・グレイザー

イレーンは数多くの企業を入念に調べた結果、確かな品質の自然健康食品を良心的に製造していることで知られるカナダのフローラ社に、このハーブティの製造を託すこととし、1992年、同社と契約を交わしました。

フローラ社は国際品質保証機関(QAI)によって認定されたオーガニック・ハーブの生産・加工業者であるだけでなく、『心身の浄化』をポリシーに掲げていました。

フローラ社社長のトーマス・グレイザーは、大自然に畏敬の念を抱き、植物が私たちに惜しみなく与えてくれるギフトに感謝を忘れない謙虚な人物でした。まるで先住民の純な魂をそのまま持っているような人だったので、イレーンに迷いはありませんでした。

トーマスが、「自然と人間との調和」や「心と体のバランス」を大切にする姿勢は、彼の祖父から受け継いだものでした。トーマスの祖父は若い頃、健康不安を植物によって取り除くことが出来た経験から、ドイツでハーブ製品の製造会社を興した人でした。トーマスのポリシーは、ファミリーに代々伝わる哲学だったのです。

トーマスは、オジブア族伝来のハーブティを絶やすことなく、世界に広めることが自分の使命だと感じました。そして「身心を浄化する神聖な力」をイメージさせる「フロー・エッセンス」という商品名がつけられました。

こうして北米先住民の叡智は、まるで聖火のように、善意の人々の手から手へ次々と受け継がれ、現代の私たちも享受できるようになったのです。

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